ウェスティンホテル淡路にて
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淡路島に宿泊してきました。
宿泊先はウェスティンホテル淡路[リンク]です。
ゴールデンウィークと夏休みの間はピークオフらしく
お得なプランがありました。
野洲高サッカー部の観戦でいく僕達にとっては
もっけの幸い。
渡りにタコフェリー[リンク]
「淡路夢舞台」に隣接するホテルがあります。
最初にウェスティンホテル淡路島を知ったきっかけでした。
「淡路夢舞台」は10年前から知っていましたが
まさか自分が隣接するホテルに泊まることになるとは~。
街から近いのにリゾート感があります。
ホテルの部屋から眺める大阪湾の風景は素晴らしい。
神戸と大阪の街が一望できます。
遠くには関空の管制塔らしき建物も・・。
◆淡路夢舞台、日本人及び僕の物語
戦後の高度成長に伴い
大規模な大阪湾の埋立てが行われた。
埋立てに必要な土が淡路島から切出された。
大阪湾に浮かぶ淡路島なら
埋立て予定地まで船で運ぶことができる。
日本書紀や万葉の古歌にも歌われた伊吹山を
「コンクリートの原料」として認識し
ためらいもなく山容を変えるまで切り崩した時代。
名もない淡路の山は容赦なく切り崩された。
イケイケどんどん
オーサカ湾を埋め立てろ!
オーサカ湾には土地が!
淡路島には仕事とお金が!
どんどん掘り出せ!
どんどん埋めろ!
世のため、人のため、国のため
アナタのため、そして僕のため!
そういう時代。
今、元気と自信を亡くしている日本からは
想像も付かないほど
エネルギッシュで野蛮な時代!
尊敬を畏怖を若干の蔑みかえ
恐るべき東洋人達に
西洋人がつけたコピー
曰く
「エコノミック・アニマル」
この言葉で象徴される時代。
経済的成長の果実を謳歌し
総仕上げとして関西空港用の人工島を造成した後
はた、と眺めてみれば
美しかった淡路の山は赤土を露出させた無残な姿。。。
なんじゃこらぁ・・・。
昔から「環境破壊」というものはあった。
都や大仏の建立のため
甲賀の森は木を切り倒され禿山となり
土砂が流出した。
しかし日本人のいいところは
禿山があるといてもたってもいられなくなる。
というところ。
自分達がセッセと禿げさせた山に
セッセと植林を始める。
なんともイジらしい。
中国や韓国の風景を見ると「禿山」が多い。
日本人は、ああいった風景に耐えられないのだ。
またこの島の温暖湿潤な気候は
自然を再生可能なものとならしめている。
熱にうなされてヤンチャをして
熱から冷めたときに素直に反省しているかの如く
人間によって失われた自然の景観を人間によって取り戻す作業
を始める。
この作業は甲賀に限らず、全国の津々浦々で行われてきた。
淡路島でも同じように
人間によって失われた自然の景観を人間によって取り戻す作業
が行われた。
樹木と異なり失われた土は取り戻すことができない。
そこで土木と建築の技術を結集し
人力と機械力、創造性を結集して
あらたな景観・ランドスケープを作り出した。
有名な建築家がこの作業の監修を行った。
安藤忠雄
である。
安藤氏のかかわったこの一連の作業は
「淡路夢舞台」という形で結実する。
安藤忠雄氏がNHK人間講座の講師を務めたときの
テキストが手元にある。
講座のサブタイトルは
「建築に夢を観た」
テキストの表紙には淡路夢舞台の写真。
このテキストを買ったときは
淡路夢舞台の存在なんて知らなかった10年前。
人間講座の最終回で「淡路夢舞台」の存在を知った。
その仕事に関わる安藤氏の写真は
どれも楽しそうみ見えた。
まさか十年後にそこに宿泊することになろうとは・・。
数奇なものだな~。
と思いつつ気分がいいので
普段は飲まないウィスキーを一杯。
つまみはタコブツのから揚げ串
そして大阪湾の風景。
あぁぁ!最高!
オトナってイイナ。
◆誕生日と結婚記念日
淡路島には野洲のサッカー観戦で3年連続できています。
プリンスリーグの日程の関係で
毎年6月頃になります。
実は6月は僕の誕生日と結婚記念日です。
結婚記念日のほうは祝う意味がわかりますが
誕生日に至っては
「30代にもなって何がめでたいのかね?」
と思っていました。
子供の頃と違って
目に見えて成長するわけでもなく
成長を「成熟」という言葉に置き換えてみても、、、「?」やし
むしろ経年劣化というほーが、、、。
一歩一歩ふけていくだけやん!
なんて思っていました。
最近、
自分が一番苦しい時期に知り合った友達のことを想いだしました。
お互い大学を卒業するもなかなか世の中に出ることができずに
苦しんでいました。
彼は
京都の超進学高→
東京の超有名私大→
京都の旧帝大学士入学→
旧帝大大学院
と進んだカシコイ方ですよ。
ちなみに知り合ったときは「京都の旧帝国大学学士入学」
の頃でした。僕はプーでしたよ。
でも
「久しぶりに連絡すっかぁ」
というワケにはいきません。
彼はこの世にはいてないのです。
大学院の頃、病を患って他界してしまいました。
中学や高校の同級生でも亡くなったヤツはいてます。
オレを置いてどっかいくなやぁ!
寂しいやんけ!
あれから10年近く経っています。
それでも僕はオメオメと生きているわけで
結婚とかしているわけで
淡路島のホテルに宿泊しちゃうわけで
そこで思い直すわけです
30代までなんとか生きてこれたこと。
フツーに生活できること。
これを祝うべきなんだな、、と。
同様に結婚して6年経ったのですが
そこまでに離婚される方もいてるのです。
周りの協力を得て
何よりヨメはんの忍耐を得て
ここまでナニゴトもなく来れたことを
祝いたいな、と。
そんな日があってもいいじゃない、と。
僕が調子のって毎日
ぎゃーぎゃーゆー不満撒き散らして
生活できてるんも
実はラッキーなことなんやんな、と。
と「生かされていること」に改めて感謝したイチニチでした。
夕食はバイキングでした。食いすぎた。。。
ローストビーフ最高。
せっかくなんでお祝いのケーキを頼みました。うまかったっす( ´¬`)!!
「祝72ヶ月記念」。結婚6年記念という意味です。予約のときにホテルの人に2回聞き返されました。
オメデトウ。オレ(タチ)。
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思わず画面に乾杯していまいそう。
でも今、自分が飲んでるのはアイスコーヒーなんですけどね。
さざなみさま。ご無沙汰してます。
淡路島で宿泊されておられたのですね。
素晴らしいひと時を過ごされたんだな〜と、感じました。
わたしの方はと言いますと、試合の当日、午前中に淡路に到着しました。五色浜の浜辺でお弁当を食べ、海岸の奇麗な石を手に取ったり、ご年配の方達が大きめの石に絵を書いておられるのを見せてもらったりと、のんびりとした時間を過ごせました。
浜辺に立つと琵琶湖とは、また違う気分になりますね。
つづく。
後になってしまいましたが、結婚72ヶ月記念日おめでとうございます。 実は、うちも結婚記念日は6月なんですよ。
そうです。先月です。今年はうっかりスルーしてしまいそうでした。当日カミさんに「今日は何の日?」と聞かれ、ハッとした次第です。 危うく一発レッドカードで家から退場させられるところでした。危ない。危ない。
さざなみさまのトコロは大丈夫と思いますが、記念日は、くれぐれもお忘れなくです。
それでは、また。
こんばんは。
いや~「のんびりした時間」もいいじゃないですかぁ。
海にいくと、「びわ湖とはまた違っていいな」と思いますがびわ湖にいくと「海とは違ってまたいいな」とおもいますねぇ。
>結婚72ヶ月記念日おめでとうございます。
ありがとうござます!! おんなじ月ですね~。結婚記念日は自分の誕生日の2日前なんで大丈夫ですわー。でも「同居記念日」「入籍記念日」といちおう別々でこっちのほうは危うく忘れそうになりますわ。記念日的なモノに対する女性の記憶力は脅威というか恐怖ですね。