こんちくしょーめ日記その2@みちのく
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やっと来たカッパ巻き、ご飯が温い・・・。
つまり、「商品」として成立していない。
ほんとうに近江人は、商売に関して立派だ。
やはり、江戸時代同様、近江人の子弟は「丁稚」に向くのだ。
山形って結構滋賀とつながりありますよね?
山形名産おみ漬とか最上踊りとか・・・
山形行ったときはソッコーでおみ漬買い漁りましたw
あと、
東北の醸造業(酒・味噌・醤油)は近江商人が根付かせたらしいです。。
こんにちは。はじめまして。
「おみづけ」と呼ばれている、小さい頃からなじみの漬物は
実は「近江漬け」なんですよね。
始末のいい近江商人達が、当時、山形では捨てていた、青菜
やらの切れ端を利用するために考えたのが、「おみ着け」ら
しいですね。
おっしゃる通り醸造業や鉱業で近江商人の資本とノウハウは
みちのくを拓くためには必要だったものです。
蒲生氏郷が拓いた会津若松の名産、「会津漆器」は正に蒲生氏本
貫地である日野の「日野椀の技術」+「会津の漆」のコラボです。
人によっては
「近江商人は東北にきて搾取して利潤を上方へ吸い上げた」
なんて恨み節をいう人がいてます。
しかし、一方で新たな技術や経営のノウハウ、文化が先進地であ
る近江から後進地のみちのくにもたらされたわけで、そう恨みば
かり述べるもんでもないはずなんですね。
そーゆー「俺たちは搾取されたんだっ!!」的な意識がみちのく
のあかんとこでもあるな・・、と愚考する次第ですわ。
「最上踊り」は東近江市に残っているらしいですね。
戦国時代の出羽の覇者最上氏57万石は相続の内紛により、東近
江市に1万石(のちに5千石)の大名として移封した名残でしょう
ね。最上氏は山形城下整備にあたって大量に近江商人を呼び寄せた
縁もあります。
現在でも、山形では値段を聞くときは「なんぼ?」といいます。
あと「ゼニ」がなまって「ジェネ」といったり上方・近江とのつな
がりは意外と深いものだな、と思います。
よろしければ、また覗いてください。
追加ですが、山形は
こんばんわ、よりは「おばんです」
七時は、しちじ、ではなく「ななじ」
といいます。そのへんも上方の影響かなぁ?
なんて思います。このへんは推測ですが。