『「民都」大阪 対 「帝都」東京 ―思想としての関西私鉄』
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【表紙より】
大阪。三〇年代まで人口、面積、経済すべてに「帝都」を圧した「民衆の都」。ターミナル・デパート、高級住宅街・・・。私鉄を中心に花開く市民の文化。(中略)(帝国)権力の装置=「国鉄」と関西私鉄との葛藤を通し、「都市の自由」の可能性とその挫折を描く。
関西に来て一番驚いたのが「私鉄」充実度。そして京阪沿線か阪急沿線かという沿線の違いは、高槻市に住んでいるか茨木市に住んでいるか、ということより大きな違いを持つという事実。いわば私鉄・新聞社といった民の力を背景に自治都市的な雰囲気をもっていた「民衆の大都会大阪」がいかに「帝国の一都市」へと変容していくかが描かれている。鉄道に限らず、「都市」「大阪的なもの」に興味があるかたは是非読むベシ。大阪の私鉄のことがよくわかる。私鉄といっても東京と大阪ではずいぶん「思想」が異なることがわかる。阪急(私鉄)は「梅田駅」であり、官鉄は「大阪駅」であり、地名は「梅田」である。東京の新宿であれば官鉄は「新宿駅」、各私鉄は「京王新宿駅」「小田急新宿駅」、名古屋では官鉄は「名古屋駅」、各私鉄は「新名古屋」など。
つまり関西では街の主人は「私鉄の駅」なのだ。小林一三(阪急電鉄創始者)が「われわれから言へば、京阪神というものは鉄道省にやつて貰わなくてもよろしい。そんなことは大きなお世話です。われわれがどんなにでもして御覧に入れます」と言ったことは痛快。鉄道省から天下りを受け入れない阪急・小林の思想をよくあらわす。慶応人らしい。表題は原さんがつけたものではなく、編集者が営業上の理由でつけたもの思われる。ややダサいが「東京対大阪」という構図は本を売るにはうってつけ。実際この本はよく売れたし「サントリー学芸賞」も受賞した。みちのくから関西に来たおいらは「関西の私鉄ってすごいな」と漠然と思っていたわけです。「街場ってのは私鉄がスゴイねんな」と思っていましたが、同じく街場の関東と関西でも、また違うとのこと。漠然とした「感想」に理論的な説明を与えてくれた書です。僕は俗にいう「鉄オタ」ではないのですが「都市の装置」としての私鉄には多大な興味があるわけで、その興味を喚起・促進させてくれた一冊です。オススメです。