アプリの屋上から水口の町を望む
私は水口という町が好きだが、以前は水口という町についてほとんど知らなかった。
Jリーガーの井原さんの故郷であることを、わずかに知っていた程度である。
水口は山間の小盆地に開けた街だ。
古くから城下町・宿場町(水口宿)として栄えた。
現在でも旧市街は城下町・宿場町としての風情を残している。
古くから交通の要所であった。
甲賀のほうぼうの谷々から人々が降りてきて物産を売り、現金を得、余所の物産を購った場所である。
現在でもその構造はかわらない。
合併直前の旧水口町は人口約4万人。
それにしては街が大きかった。
水口町は”消費流入地区”であった。
つまり他所で買い物する金額より、
他所の人が水口で買い物する金額のほうが大きかった。
モータリゼーションの進んだ昨今、小都市としては珍しいことと言わねばならない。
県庁所在地クラスの街でも"消費流出地区"となっている街もあるのだ。
甲賀の人やお金は、現在でも水口に集まるのである。
市の行政庁の所在地であり形式的にも水口は甲賀の中心である。
甲賀の商業・消費の多くが営まれているという意味で、実質的にも水口は甲賀の中心である。
かつては甲賀郡の、現在では甲賀市の主邑なのである。
数年後に開通する第二名神は甲賀市の通過する予定となっている。
将来的にも有望な街といえよう。
水口は歴史的に重厚な町だ。
水口高校の門前とも言える場所にあるカフェに寄った。
平日の昼ということもあり、店内は閑散としていた。
ばらくすると、ご婦人の団体が入ってきた。
習い事の仲間の集団のように思えた。
賑やかである。
その会話のなかで70歳ぐらいのご婦人が、
「~~さんは、晴耕雨読の生活を送ってはるからねー」
とおっしゃっると、周りのご婦人だちは弾けたように笑う。
この集団内では「セイコウウドク」の意味が了解されているらしい。
その他にも吉田松陰の辞世の句の話をしている。
「俳句」「短歌」「詩吟」のサークルなのだろうか。
比較的、教養のある方が多いに違いない。
その分を差し引いても、70代ぐらいのご老人達が「セイコウウドク」を了解しているというのは、大したものだと思う。
「晴耕雨読」の言葉の意味を日本人の何割が意味を理解しているだろう・・・。
わたしの母は六十代の半ばで、当時「金の卵」といわれた高卒である。
集団就職で、東京の大手鉄鋼会社にに就職したが「精耕雨読」の意味を理解しているかは怪しいものであある。
ご老人たちは、紅茶とケーキを楽しんでいる。
教養が伺えるような会話を続けていた。
古い城下町というのは、そういう所なのだろうか。
やはり、水口という街は大したものだ、と思った。