村のメインストリート
せっかく実家に帰ってきてたので
想い出の地巡りをやってみました。
小さい村なんでスグ終わりました。
故郷の村はどんどん変わっていきます。
想い出の場所がどんどん無くなっていきます。
草津や栗東のように開発によって変わっていくのではなく、衰退によって変わっていくのです。
寂しいかぎりです。
滋賀が衰退によって変わることがないことを願っています。
開発によって変わるのは、仕方なしです。
環境運動とは愛郷運動だ。環境破壊は故郷の風景を変えてしまう。何十年か後に琵琶湖が汚染され湖岸の風景が変われば、いったい何を懐かしめばいいのか。
武村正義元知事が書いた、このような文言が僕の「アンチ・エコロジスト」からの転向となりました。
もう二度と故郷を失わないために、転向しました。
「生まれの故郷」は人口減によって姿を著しく変えてしまいました。
「発見した故郷」・滋賀はいつまでも変わってほしくない。
いつまでも懐かしむべき場所が残っていてほしい。
滋賀の人たちが、世に言う「環境」に対して非常に配慮しているのは、一重に「愛郷心」ゆえのことのように思えます。
滋賀は「環境先進県」と言われています。
それは「愛郷先進県」なのです。
僕は近江の人達を尊敬している理由のヒトツは「愛郷」ということに対して非常に、行動的で勤勉だからです。
やはり近江人は偉大だな、と実家に帰ってきても思うのです。
それだったら故郷へかえって、頑張ってみれば?
と言われそうですが、、、。
正面に見えるのは「こしき岳」僕の心の中の「故郷の風景」はこしき岳のある風景です。
手前が旧道で、奥に新道が走っています。写真の左端ののやや先で合流します。間に挟まれた三角になっている土地には医院の門柱のみが残っています。僕も小さい頃、よく行きました。
門柱の写真。奥の建物は小学校。僕が行った頃は木造でした。
郵便局。お年玉を貯金にいきました。
郵便局の裏の駐車場。
ここで壁キャッチボールをよくやりました。
あと壁サッカーも。
キャッチボールは中学の部活に活かせましたが、壁サッカーは活かす場所なく成人してしまいました。
壁の写真の位置に「ストライクゾーン」を書いていました。
5年ほど前にみたときには残っていましたが、今回は無くなっていました。
手前のシャッターの降りている建物は自転車屋さんです。
高校の頃、毎日20キロ自転車に乗っていたので、よくお世話になりました。
おじさんは、いつも口が開いているように見える人でした。
自転車を担ぎながら自転車に乗っていた、という伝説を持った人でした。