『ソラノネ』さんに向かうとき、目印にしたのが「たいさんじ風花の丘」という建物。
とりあえず、「たいさんじ風花の丘」をめざして、「開拓」感満点の野をいきます。
空がひろくて樹木の配置も規則性をもたせてあるので気持ちいい。
畑も大きいので北海道みたいです。
あー気持ちいい。
いや~、気分がいいなー。
そんなのどかな風景に似つかわしくない現代建築が!!
白ければ「シャープのアクオス」のCMに出てきそうなカンジ(ノ゚⊿゚)ノ
なんにせよ、「唐突」ですなー。
でも、僕はこういった「アンバランス」けっこう好き。
まさに「アート&アグリカルチャー」。
正確には「アーキテクト&アグリカルチャー」な滋賀。
近づいてみると、いっそうすごい。なんかの花びらか、鳥の翼のよう。。
あるいは『機動警察パトレイバー』の「グリフォン」のようだぁ。
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建物の黒さと空の青さのコントラストがいいですな。
近寄ってみる・・。
やはりココが「たいさんじ風花の丘」のようです。
こんな構造。
???
けっこう気になり、いろいろ調べてみました。
☆当初は白い建物だったようですねぇ。。
農業研修施設ですかぁ。
どんなもんかいな?
☆「安曇川町田中ですが、田中も地域が広くて詳しくは「泰山寺」たいさんじです」
とあります。
開拓集落は「枝村」という扱いになり
字を名乗らないことが多いようです。
☆やっぱり白いです。
☆こちらは黒。なんで色が変わったのかね??
☆コチラのブログにヒントがありました。
☆「メンテナンスフリー」を目指したようです。
納得。
公共建築物は「維持費」に苦しんでいる場合が多いですね。
建築するときは諸々の補助金が出るが、
「維持費」には出ないとのこと。
「親、じぃちゃんからお金もらって3ナンバーの外車買ったけど維持費が出せない」
的な状況になるわけですね。
だから公共建築は「メンテナンスフリー」がいいと。
つまり車でゆーたら故障が少なくて燃費のいい車にしろと。
ボルボ?レクサス?
☆以下の一文は非常に参考になりました。
一般的な話として、ある一面では、公共が若手のデザイナーのパトロン的存在となっているということがあります。そこから、大きな建物を手がけられるようになった建築家も多いのではないかと思います。でも、その残された建物には、未熟な部分が残ってしまい、メンテナスに苦労するという話は、そこココで聴かれます。公共の建物は、新築する時は、色々な補助金などを使って、事業費が出ますが、なかなかメンテナス費用が出ません。民間なら、利益が出れば、そこでメンテナスをして継続する、出なければ、細々と営業しつつ最終的には閉店、ということになります。しかし、公共の場合、例え利益が出ても、それは運営者の利益であり、そうなれば地域の活性化に寄与した建物ということにはなりますが、それを「メンテ費用として積み立てる」というお金の流れにはなりません。メンテはまた市で予算を組んでという話になるのです。そして、このような金額の建物は、野菜を売っているだけでは、多分、普通の会計でいう「減価償却」すらままならないはずです。ですからなおのこと、メンテナスフリーに近い建物を作る必要があると思うのですが・・・
☆さらに同じブログ内にあるこの一文も参考になりました。
こうしてブラジリアはそこに、そのまま、おかれている。今日も輝いている。まるで昨日生まれたばかりのように輝いている。構造物たちはまだ細根も、地下茎も、気根も生やしていない。しかし、建築物も人と同じように年齢を知らずにはいられないし、体のあちらこちらにそれを分泌せずにはいられないものである。これまでの木造建築や石造建築は歳月や疲労がしるしづけられると同時に成熟の気品や威厳を身につけるすべを知っていて、不断に育ちつづけて数世紀、十数世紀を生きぬいてきた。しかし、現代建築というものはこれまで私が諸国で見聞をしたかぎりでは、歳月と添寝することができないのである。デザインの流行が変わるから“時代遅れ”になってそうなるのではなく、どうやら、もともとそんな体質や気質に生まれついていないのである。らしいのである。どの傑作もちょっと歳月がたつとたちまち醜怪、卑小な不具者となってしまう。ある年齢で成熟がとまってしまった美青年みたいなところがある。美貌を保つためには自殺するしかない、ある種の早熟な不具の美少女みたいなところがある。一つとして例外なくそうであったといいたくなるほどである。
☆「人口都市」の代表ブラジリア。
そういえば日本も「首都機能移転・新首都建設」のハナシがありましたなぁ。
今ではすっかり立ち消え。
変わって「地方分権・道州制導入」のハナシが出ています。
いわば「分都」ですかね?
道州制導入も戦前から議論が出ては消えているハナシです。