ワールドカップ2010 日本のジャイアント・ キリングに想う(7)
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松井選手の中学時代の恩師・牧戸万佐夫さんに
すっかり興味をもっちゃいました。
いろいろ調べました~。
J SPORTS 4月30日
▼【代表選手の恩師に聞く。日本サッカーは大丈夫か?
南アW杯後の「代表」「育成」を懸念する日本代表選手の恩師たち】
松井大輔(グルノーブル)の中学校時代の恩師である牧戸万佐夫監督(現伏見工業高校監督)も
「大輔のようなケタ外れの個性を持った子供がどんどん減っている」
と話していた。
「小学6年の大輔を見た時、テクニックが抜群だった。意外性のあるプレーもできる。
特にドリブルがすごかった。でも大輔は五輪代表まで日の丸をつけたことがない。長所もすごいけど、守備ができないとか、当たりが弱いとか、走れないとか欠点も多いから、目立つんだと思います。トレセンや年代別代表に行くと正五角形の選手が多いし、そうでないと生き残れない傾向が強すぎるから、大輔のような選手が落とされてしまうんでしょうね」
という牧戸監督の話は、大いに的を得ている。
日本サッカー協会が示すマニュアル通りに子供を育てていたのでは、飛びぬけた才能を持った子供をつぶしてしまうことになりかねない。
松井大輔選手が五輪代表まで
日本代表に選ばれなかったのは驚き。
正五角形の選手を11人揃えたチーム
はソツがないだろう。
そして このチームのファンになるためには
よっぽどサッカー知識が必要になる。
大方の人間にとっては「強いが退屈なチーム」に映るだろう。
圧倒的大多数の人々は「個性のある選手」に魅かれるもの。
個性のある選手の育成 → サッカー人気が盛り上がる → 競技人口の増加 → 日本のサッカーが強くなる
の循環がよろしいのかと。
NIKKANSPORTS.COM SOUTHAFRICA2010 2010年5月09日
▼松井が信頼寄せる恩師/奇跡に挑む者たち
<松井大輔:取材後記>
映画『スクール☆ウォーズ』の舞台となった京都・伏見工に松井大輔(グルノーブル)の恩師がいる。京都・藤森中時代に指導した牧戸万佐夫氏(50)だ。今は伏見工サッカー部の監督を務める。気さくな人柄で松井が最も信頼を寄せ、松井のすべてを知っている。松井は京都入団当初、彼女ができる度に恩師に紹介し、一緒に3人でカラオケに行くこともあったほどだ。
「あいつは人見知りでね。なかなかうちとけづらい部分がある。でも、自分には何でも話してくれる」
とうれしそうに話す。松井が京都・大宅中2年の3月に牧戸氏のいる藤森中に転校。中学1年から関西選抜の監督を務めていた牧戸氏を信奉していたからだ。中学で
は極めて異例のサッカー留学での転校。周囲から陰口をたたかれ、無言電話などの嫌がらせを松井は受けた。牧戸氏も「引き抜きだ」と批判されたという。
「自分はそういうつもりはなかった。でも、本人の意志が堅かった。そういう頑固なところは今でも変わらない」と言う。牧戸氏は松井が京都に入団した00年からラグーの名門・伏見工サッカー部の監督に就任。02年に全国大会に出場した。土のグラウンドでラグビー部とサッカー部が並んで練習している。牧戸氏は、伏見工ラグビー部の山口俊治総監督から指導方針についての助言を受けることもあるという。
「山口先生から勉強させてもらってます」。松井を一人前にした牧戸監督の次の目標はサッカー版『スクール☆ウォーズ』を実現させることかもしれない。
彼女を紹介、3人でカラオケ!
監督というよりアニキですな。
時事ドットコム 2010年06月15日
▼局面変える力、恩師が評価=1対1に強いこだわり―MF松井選手
14日、サッカー・ワールドカップ(W杯)で初戦のカメルーン戦に勝った日本。1トップの位置で出場した本田圭佑選手(24)の決勝ゴールを生んだのは、MF松井大輔選手(29)の値千金のクロスだった。京都市立藤森中時代の松井選手の恩師牧戸万佐夫氏(50)には、頭に焼き付いているシーンがある。
大阪の強豪チームとの試合。当時中学3年だった松井選手がドリブルでゴール前へ突破し、ゴールキーパーと1対1になった。スピンを掛けた小さなキックをして自分の所にボールを戻した後にループシュート。ボールはキーパーの頭上を越え、ネットを揺らした。
牧戸氏は「芝じゃなくて、土のグラウンドで見事にスピンをかけた点が圧巻だった」と振り返る。自宅には5、6個のボール。いつも傍らにあり、リフティングをしながら登校したこともあった。足首やひざが柔らかく、大好きだった漫画「キャプテン翼」に出てくるようなプレーをまねすることもできたという。
「ボールの扱い方は体にしみ込んでいた」。鹿児島実業高(鹿児島市)時代の恩師松沢隆司同校サッカー部総監督(69)もそう回想する。高いレベルでやりたいと中3に進級する際、母親とアパートを借りてまでして、同じ京都市内の牧戸氏がいる中学に転校。高校はサッカーの特待生として受けた中で、テストで思うようなプレーができなかった鹿児島実業を選んだ。高校入学前には父親の勧めでパリに短期間サッカー留学もした。
常に自分を高めるための選択をしてきた松井選手が、高校でも徹底的にこだわったのが1対1でのプレー。だが、無理をし過ぎてボールを取られる。監督にいくら怒られても、自分のスタイルを変えようとはしなかったという。
松沢総監督は「その後、体格的に成長したこともあり、テクニックとのバランスも取れた。代表の中でも、1対1で相手を崩すことができる数少ない選手の一人。局面を変える力を持っている」と話していた。
ご両親も、理解があったのですねー。
うらやましい。
牧戸さんは、松井選手の才能を高く評価していたのですね。
自分を評価してくれる指導者の下でプレーしたい
と考えるのは自然なことです。
もし中学時点で牧戸さんが「正五角形的」なモノサシで
松井選手を評価していたら
松井大輔選手という才能は育たなかったかも。
asahi.com 010年6月16日
▼W杯勝利、松井よくやった 地元の星の活躍に沸くファン
サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で14日、初戦のカメルーン戦を勝利で飾った日本。決勝点につながるパスをゴール前に出したのは、山科区出身のMF松井大輔選手(29)だった。地元のファンらはその活躍に沸いた。19日のオランダ戦も府内各地で観戦会がある。
今月オープンした「イオンモールKYOTO」(南区)の複合映画館「T・ジョイ京都」はパブリックビューイングの会場になり、巨大スクリーンで試合を放映。試合開始の3時間前にはチケットが売り切れ、400の客席は青のユニホームで埋まった。
前半39分、松井選手のパスでシュートが決まると、観客は大歓声で総立ち。スクリーン前に飛び出す人もいた。会社の同僚と観戦した山科区の池田勇太さん(22)は「高校の時から松井選手のファン。うれしくて涙が出そう」。立命館大2年の藤原慶太さん(20)は「この調子でグループ予選を勝ち進んでほしい」とエールを送った。
一方、松井選手の父・一雄さん(63)は山科区の自宅でテレビ観戦。「4年前の代表落選の悔しさを晴らせた」とねぎらった。母校の藤森中学(伏見区)でサッカー部監督だった牧戸万佐夫さん(50)は「持ち味の左足のクロス。ほとんど大輔のシュートと言っていい」と喜んだ。
W杯開幕以前から
「松井選手をサイドに!」
と主張していた僕とては
カメルーン戦の先発発表で
「サイド、俊輔じゃなくて松井や!」
「いい戦いができるかも!」
と小躍り。
右であげるとみせかけて、
ドリで切り替えして左であげたボールを
本田選手が決めた時点で
「涙がでそう」とまではいかないまでも、
かなり胸がスク思いでした。
やっぱり松井やろ!!
とガッツポーズ。
「ほとんど大輔のシュートと言っていい」←同感です。
YOMIURI ONLINE 関西発 2010年5月11日
▼松井選手代表に、恩師「私も夢心地」W杯
得意の個人技を南アフリカで見せつけろ、松井――。サッカーのワールドカップ(W杯)に出場する日本代表メンバーに、京都市山科区出身の松井大輔選手(28)(仏=グルノーブル)が10日選ばれた。松井選手は地元の少年サッカーチーム、Jリーグ京都パープルサンガ(当時)を経て、フランス・リーグに移り、世界を舞台に活躍するトップ・プレーヤー。W杯への出場は初めてとなるが、地元の恩師らからは活躍を期待する声が上がった。
松井選手は京都市立大宅小(山科区)に通い、地元の京都大宅サッカースポーツ少年団に所属。ドリブルの得意な選手で、府大会や関西大会で優勝に大きく貢献した。
松井選手がJリーガーになり、さらに海外に羽ばたく姿をずっと見守ってきた同少年団団長の樋元壮介さん(73)は「松井くんは小学生の頃からW杯を目標にしていた。南アフリカのピッチで活躍するのが楽しみで、私も夢心地です」と声を弾ませた。
市立藤森中(伏見区)時代に指導した牧戸万佐夫さん(50)(現・伏見工業高サッカー部監督)はこの日、メンバー発表の後、松井選手と電話で言葉を交わした。
お祝いに対し、松井選手は「ありがとうございます。体調は全く問題ない」と自信をのぞかせたという。牧戸さんは「対戦相手は大柄な選手が多いが、持ち味の意外性あるプレーで、相手をきりきり舞いさせてほしい」と期待していた。
京都サッカースポーツ少年団連盟の林隆範・事業委員長(44)は「京都出身の松井選手は、子どもたちにとってあこがれの存在。頑張れば松井選手みたいになれるという夢を、子どもたちに与えてくれた。少しでも多く試合に出場し、得点に絡む活躍を見せてほしい」と話し、門川大作・京都市長は「スポーツに汗する子どもたちを始め、京都市民にとって大きな励みになる。積極果敢なプレーで活躍されますことを祈願致します」とのコメントを出した。
やはり地元の選手が出場すると盛り上がりますなぁ。
滋賀出身の選手にも出場してほしい。
できれば松井選手のような決定的な働きをしてほしい・・・。
次のW杯、乾貴士選手に期待しましょう!!
グーグルキャッシュ取得。
▼恩師に聞く、代表の素顔vol.04 牧戸万佐夫監督 -伏見工業高校サッカー部-
「大輔のような突出した個性は、今は出てきにくくなっている」
「大輔(松井=グルノーブル)を初めて見たのは小学校6年の時。関西のトレセンでプレーしていた時でした。私が当時指導していた京都の藤森中学校の生徒を連れて大阪まで遠征に出ていたついでに万博まで足を伸ばしたんですが、丸刈りでプレーが抜群に目立ってた。やわらかいし、意外性のあるプレー、特にドリブルがすごかったですね。同じ大宅少年団にいた山崎(雅人=広島)君もずば抜けていましたね」
その後、牧戸監督は京都トレセンや関西トレセンで定期的に指導するようになったが、松井の通った大宅中にはきちんとした指導者がいなかった。一方の藤森中は松井が中2の時に全国中学校大会で3位に入った。
全国レベルの隣の中学で毎日充実した練習し、どうしても全国大会に出たいと考えた松井は、両親と牧戸監督に転校を懇願。中3の4月から藤森中に通った。しかし彼の夢は叶わず、藤森中は府大会の準々決勝でまさかの敗戦を喫してしまう。関西トレセンでも補欠から抜け出せず、松井自身は頭打ち感を覚えたようだ。
「大輔はGKと1対1になった時、いきなりボールに逆回転をかけて浮き球のシュートを打つような非凡なセンスを持っていました。そういう突出した部分を持つ一方で、できないこともすごくあった。『守れない』『走れない』という評価をする指導者も多かったと思います。
日本サッカー協会の指導マニュアルができてから、正五角形の力を持つ子供をトレセンに呼んだり、年代別代表に入れる動きが加速したと思います。だけど大輔はいつも遊び心を持っていた。私が一番の大輔のファンだったし、ワクワクするプレーをしてくれた。そういう選手を早々と切り捨ててしまうのはどうかなと思いますね」と牧戸監督は現在の選手育成について問題提起をする。
中学校の部活は全国大会に出られなければ夏前には終わってしまう。そこで牧戸監督は松井のモチベーションを上げるため、静岡まで2つ年上の小野伸二(清水)を見せに行く機会を作った。「体力をつけななきゃ、やっていけない」と言う本人に同行して鹿児島実業のセレクションにも行った。そこで1つ年上の1年生にも全くついていけなかった松井に「お前はここでやるしかないだろ」と背中も押したという。
「鹿児島には視察や研修など何かしら理由をつけて20回くらいは行きましたかね。松澤(隆司)総監督の家に住んでいて息を抜く暇もなかったでしょうから、私が行って一緒に外食するだけでも気分転換になるんじゃないかと思いましたから。
京都時代の大輔は楽しいサッカーばかりを追求してましたけど、鹿実に行って我慢強さやチームプレー、仲間のために戦うことの意味を学んだようです。そういうことを鹿実の3年になってからポツポツ言うようになりました。安達(亮=現神戸強化部長)に戦術的なことを教えてもらったのも大きかった。本能のままにサッカーをしていた大輔が大人の選手になれたのもいろんな人の教えがあってこそだと思います」
牧戸監督は今も年の離れた兄のように松井に接している。そんな愛情や思いやりも指導者には必要なのかもしれない。
小野選手のプレーを魅せるために
静岡までつれていったり
卒業した後も鹿児島まで20回も行って
ご飯をたべに連れ出したり
牧戸さん、物凄く優しい人なんですねぇ。
過去の京都新聞より
▼【代表】サンガ・松井、五輪代表に サンガ・松井、五輪代表に 京都出身は釜本以来36年ぶり
日本サッカー協会は16日、アテネ五輪サッカー男子(原則23歳以下)の代表メンバー18人を発表、京都からは京都パープルサンガのMF松井大輔選手 (23)=京都市山科区出身=が選ばれた。京都出身のサッカー男子代表は、1968年のメキシコ大会で銅メダルを獲得した釜本邦茂氏(現日本サッカー協会副会長)以来36年ぶり。
松井選手は一昨年、アテネを目指すチームがスタートして以来、高いボールテクニックやドリブルを生かし攻撃の要として活躍。五輪予選八試合中七試合に出場し、計2点を挙げた。
日本は三大会連続7度目の五輪で、一次リーグではパラグアイ、イタリアガーナと対戦、メキシコ以来のメダルを狙う。
五輪での活躍、力強く誓う
2日前にU-23日本代表の親善試合を終えてオフを取っていた松井は同日、京都府庁や京都市役所、京都新聞社などを訪問して代表入りを報告。「期待が大きいのは分かっています。応えられるのはメダルしかない」と、力強く五輪での活躍を誓った。
松井は代表入りを知って「ほっとしたのと、ここから始まるので大変やな、と思った」と話す。京都出身のサッカー男子五輪代表が、銅メダルを獲得した釜本氏以来36年ぶりになることについては「びっくりした。ぜひ表彰台に乗ってみたい」と、偉大な先輩を目標に掲げた。
2002年、五輪へ向けて走り出したU-21日本代表に初めて選ばれ、アジア大会準優勝に貢献。トップ下で攻撃の主柱として存在感を示したが、アテネへの道のりは平たんではなかった。五輪予選では山瀬との併用が多く、フル出場はなかった。
五輪出場権を得ると、オーバーエージ枠で小野の選出が確実となり、さらにポジション争いが激化した。「18人に選ばれるか不安はあった。チームのために一生懸命、泥臭いこともやろうと考えていた」と、体を張った守備も繰り返し見せた。代表デビューとなった02年のツーロン国際大会でベストエレガント賞を獲得した男が、がむしゃらなプレーで、ついに夢をつかみ取った。
1次リーグで戦う3チームは、U-21欧州選手権を制したイタリアを筆頭に強敵ばかりだ。メダル獲得を目指す日本。「きついが、行けないことはない。初戦が大事なんで、うまく乗り切りたい」と、初戦のパラグアイ戦に照準を合わせていた。
華麗なドリブルを
松井の藤森中時代の恩師である牧戸万佐夫・伏見工サッカー部監督は、感無量の様子。「ボーダーラインだと思っていたので、ほっとした。今までの自分の人生の中でも1番うれしい」と声を弾ませた。少年時代からの松井の高い技術を知るだけに「身体能力の高い相手をいなすようなトリッキーなプレーをしてほしい」と、活躍を心待ちにしていた。
また、松井が小学校時代にプレーした大宅サッカースポーツ少年団の小川晴生君(11)は「去年の冬に大宅小に来てくれて、ドリブルが華麗だと思った。あのドリブルでDFをかわして、シュートを決めてほしい」と、先輩の活躍を期待していた。
▽松井大輔(まつい・だいすけ) 京都市の大宅スポーツ少年団でサッカーを始める。藤森中から鹿児島実高に進み、2000年、卒業とともに京都サンガに入団。創造性あふれるドリブルとパスが持ち味のMFで、今季はJ2の17試合に出場し2得点。02年にU-21日本代表入りし、アジア大会準優勝。03年にはA代表入りも果たし、国際Aマッチに1試合出場した。五輪アジア2次予選に2試合、最終予選に5試合出場。175センチ、64キロ。23歳。
京都からの日本代表は釜本さん以来36年ぶり、
というのは意外ですね。
松井選手は
大宅中(山科区)→藤森中(伏見区)と転校したわけですが
実は学区が隣り合っているんですよね。
伏見の聖母女学院の近くを名神高速が走っています。
名神の近くに併走するカタチで府道が走っていて
そこを山科方面に抜けていくと大宅中学区です。
となりの中学校が全国レベルで自分を理解してくれる指導者がいる
う~ん、転校したくなるでしょうねぇ。
同時に幸運な状況ですね。
すっかり松井大輔選手に加えて
すっかり牧戸さんのファンにもなったかも。
オランダ戦も松井選手が右サイドで出場!!
多いに期待しました。
負けはしましたが
ナイスゲームでした。
優勝候補オランダに自分達のサッカーをさせませんでしたね。
スナイデルのミドルはしゃーなしやな。
ファインゴールやわ。
松井選手は後半早々交代しました。。。。
やはり中央に寄り過ぎなんぢゃあ。。。
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