2021年 07月 19日
京都駅〜攻撃的で前衛的な街の駅〜
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大きな街には大きな駅がある。
鄙びた町の駅は鄙びている。
京都駅は駅舎は攻撃的で前衛的。
優れて京都的な駅舎だ。
現在の京都駅駅舎は4代目。
1997年(平成9年)竣工。
設計者は国際指名競争方式で決定された。
構築費800億円の巨大プロジェクト。
原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、バーナード・チュミ、ペーター・ブスマンの7名の建築家の指名競争。
駅舎空間を「滞留する空間」として再定義した原広司案が採用された。
駅舎内は「無駄な空間」が多い。構内天井までの支柱無しの吹き抜け、鉄骨とガラスで構成された天井、巨大な吹抜。巨大階段のを上れば屋上庭園。駅の中に庭園!夜になると薄暗く構造物の陰となるスペースがたくさんできる。
おまけに薄暗い照明設定であり、公共の場としてはふさわしくない。
だが、そのような場所にこそ人は「滞留」する。
JR各社は、駅舎の一部を商業施設として賃貸し、収益を上げている。
「駅前一等地」ならば「駅ナカ超一等地」である。駅ナカの賃借事業を核とする不動産事業は、旅客事業と並ぶ収益の柱となっている。
旅客事業が需給の浮き沈みや景気に敏感に影響されるのに対し、不動産賃料は安定的な固定収入である。
東京駅の大丸百貨店は増床。大阪駅には三越伊勢丹が入りルクアができた。
名古屋駅には高島屋百貨店、札幌駅には大丸百貨店、博多駅には阪急百貨店。
面白いことにに、どの駅ビルにも地生えの百貨店が入っていない。
地生えの百貨店をテナントにするなら、札幌駅は丸井今井、東京駅は三越、名古屋駅は松坂屋、京都駅、大阪駅は高島屋か大丸、博多駅は岩田屋、あたりが順当なところだろう。
しかし実際にはそうなってはいない。
いわばどの駅ビルにも「黒船」百貨店が立地したことになる。
京都駅と同時期にできた名古屋駅は200メートルを超える超高層のツインタワー。
最大床面積の駅舎としてギネスに登録されていた。
「空間の大量供給」を目指した建築物。
テナントのJR名古屋高島屋は絶好調。
名駅地区のを中部地区イチの商業地域へと押し上げた。
まさに商業効率優先の建築物。
JRの駅ナカ戦略の成功事例となっている。
一方の京都駅。商業効率が最優先なら、滞留するスペースは無駄だ。
滞留する空間は、直接的には商業施設への賃借には利用できない。
単位面積あたりの収益率を下げることになる。
しかし京都駅においては、デザインが商業効率を超える論理となっている。
いままでの「駅」という概念を完全に覆す巨大な構造物。
そのデザインは攻撃的で前衛的だ。
完成から20年を経た現在、京都駅のデザインへの評価は高い。
建設当時は「京都にふさわしくない」というお決まりの批判が噴出した。
ではいかなるものが「京都にふさわしい」のかとい言えば、誰も答えられない。
大仏殿のような駅舎やJR奈良駅旧駅舎のようなデザインが、相応しいとでも言うのだろうか。
JR奈良駅旧駅舎は和洋衷様式であり、それなりの存在感があった。
しかし和風の巨大な建築物はよほど慎重にやらないと、田舎のテーマパークかロードサイドの和食ファミレスのようなデザインになってしまう。
和風の巨大な駅舎、真宗の大伽藍なような建物を作ったところで誰からも「京都らしい」と称賛されることはなかっただろう。
京都は美しいことばかりではないが、攻撃的なまでに前衛的で街あることは間違いない。
攻撃的なまでに前衛的であることが京都の街のアイデンティティーである。
「我、魁とならん」の気風が多いにある。
否、彼らは気負うこともなく、ごく自然体で「魁」となってしまうのだ。
実は京都は若さにあふれ、進取の気質の富んだ街だ。
1200年を超える歴史を有する京都は、時代に応じて休むことなく新しい試みを重ねてきた。
進取に富む人々が京都を停滞した「古都」とせず、絶えず時代の先をゆく都市に更新してきた。
1200年にわたって「伝統と革新」の融合を継続してきた極めてユニークな都市だ。
約300万人を超える商工業都市でありながら、「山紫水明」と言われる美しい自然を持つという際立った特徴を持つ都市である。
美しい自然と調和した巨大な商工業都市という、先進的な都市の姿を持つのが京都である。
街の中心部(御池、五条、河原町、烏丸通に囲まれた地区)のすぐ近くを鴨川という清流が流れている。
ごく稀にオオサンショウウオが流れ着いてしまうような清流である。
このような大都市は実は稀有なのだ。
京都の現在の在り方をみれば、かつて隆盛し日本の都市開発にも大きな影響を与えた「田園都市」構想ですら陳腐に思える。
何度もの疾病や応仁の乱、天命の大火、禁門の変などの紅蓮の炎がこの街を襲ったが、この街を滅ぼすことはできなかった。
この街は衰退することがないばかりか、その都度、都市の構成を更新してさらに活性化した。
この街は百五十年前に首都を東京に奪わた。
さらに大大阪と指呼の距離にあった。
それでも独自の力と魅力を持つ大都市であり続けたのたのだ。
京都は「歴史と伝統」に埋もれたカビ臭い街ではなく「創造と革新」おこなう都会なのだ。
ここ50年に限って言ってもベンチャーや革新的な技術やサービスを持つ多くの企業がこの街で育った。
「ベンチャーインキュベーター」的機能を持った街だ。
四半世紀以上前、大学進学のため先代の京都駅舎に降りときから、今でも僕はこの街にくるたびにワクワクする。
この都市が「古都にして現代の大都市、多様な価値観と人材を包摂し新たな価値を生み出す攻撃的で前衛的な都会」という世界的にも稀有な存在だから、ワクワクするのだ。
京都駅で電車を降りて、改札をくぐると巨大な鉄骨を持つ吹き抜け構造が目に入る。
この構造物を見ると私は真宗の大伽藍で天井を見上げたときと同じような感覚を覚える。
思えば江戸時代に西本願寺や東本願寺に参った門徒たちも、巨大な大伽藍に圧倒されただろう。
そしてこのような建物を持つ京という街がただならぬ街であると感じたであろう。
現代において、京都駅舎の巨大な鉄骨の吹き抜けは訪れたものを圧倒し、この街がただなぬものを持つ都市であることを直感的に理解させるのかもしれない。
入落した者は京都駅において「古都」のイメージを完全に裏切る前衛的な巨大建築の中で圧倒される。
この駅舎は、観光客が京都を「古都」として定義することを許さない。
巨大な駅舎は大都市であることの象徴だが、この規模の建築物において、商業効率超える基準をもったデザインを具現化しているのは、この街の「攻撃的で前衛的」な面を巨大な質量を持って象徴していと言えるだろう。
by sazanami226
| 2021-07-19 21:52
| 京都散歩
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