2021年 07月 25日
向島ニュータウン@伏見区向島
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ご近所も家族と同じ
血のつながりはない
裏切られたこともない
(Where We From feat. T-Pablow /ANARCHY)
向島ニュータウンは京都市南部
伏見区の南端に位置する京都市内最大規模のニュータウン
かつてはここに「巨椋池」という池があった
淡水魚の宝庫であり巨椋池に映る月の美しさは
万葉の和歌にもその美しさを詠われ
現在の伏見の祖型を作った豊臣秀吉もこれを詠った
かつての巨椋池の畔であった場所に
観月荘という旅館が
近年まで営業していた
巨椋池は京都府最大の淡水湖で
規模としては湖といったほうがよい大きさだった
宇治川(瀬田川)、木津川(伊賀川)及び桂川(鴨川)の合流地点に形成された遊水地であった
伏見城築城に伴う宇治川の改修工事で築かれた
小倉堤など数次の築堤により
大池、二の丸池、大内池及び中内池に分割
さらに明治時代に入り洪水対策として
木津川の宇治川との合流点の下流側への付替を行った
洪水の危険性は減少したが
流入生活排水や農業排水の排出停滞による水質悪化を惹起し
漁獲量は減少しマラリア蚊の発生などの問題が生じた
春から夏にかけて蚊が大量発生し
付近住民は蚊燻をたかなければ
夕食の箸を取ることさえできなかったという
この時点で大池は完全な死滅湖となった
このような状況で地元の働きかけもあり
我が国で初の国営干拓事業が実施されることになった
昭和8年から16年にかけて干拓事業を行い
巨椋池(大池)は消滅
食料増産のための田畑となった
かつて巨椋池があった地にたっても
巨大な淡水湖であったことは想像しがたく
わずかに京都高速道路油小路線の「巨椋池インター」に名前を残すのみとなっている
大池の消滅後も残っていた二の丸池を干拓し
住宅地を造成したのが向島ニュータウンである
昭和52(1977)年4月に入居開始
開発面積は74.7ha
計画人口22,500人
6810戸うち市営4257戸
住宅供給公社(国)624戸
分譲高層1441戸
分譲戸建243戸
といった構成である
公団住宅:6街区
市営住宅:1・5・8・9・10・11街区
分譲住宅:2・3・4・7街区
というゾーニングなされている
事業主体の京都市は
高さ制限の緩い向島で大規模なニュータウンを造成し
逼迫していた住宅事情のために市外へ流出する人口を京都市内に留め
さらに主に給与所得中間階級を呼び込み
賃料収入に加えて税収(府市民税)も上げることを目的としていた
当初はあくまでも「住宅政策」であったが
のちに福祉政策的や貧困対策的な意味をもつようになり
京都市が狙った中間階級の流入は少なく
低所得層の流入が多くなった
結果として
貧困層が流入する場所
として向島ニュータウンのイメージは悪化した
京都市が目指した
「理想の郊外」
「中産階級サラリーマンの新天地」
の目論見は挫折した
私が伏見に住んでいた90年代
向島のイメージは芳しいものではなく
学生の間では家庭教師先として避ける傾向があった
向島に住んでいた知人の話によると
京都の人に私が過去に向島に住んでいた話をしたら
ものすごくドン引きされたことがある
他の京都の人も治安が悪いから近づかないほうがいいと言っていた
とのことである
現在は90年代よりも治安等は良くなっているように思う
いかなる人間でも住むことが可能であった向島ニュータウンが
「アジール」として機能していた点は評価すべきだと思う
都市は人を自由にする
という
予定された人間
資格のある人間しか住めないのは都市とはいえない
多様な人間が流入し相互に影響し
より優れた価値を生み出すことこそ都市の機能である
決まった人間しか所属てきない社会は「田舎」だ
もっとも
京都が田舎である
田舎でよいとするなら
アジールとしての向島ニュータウン
は必要なかったということなるが
京都はそういった街ではない
向島地区は伏見桃山地区、宇治市牧島地区と隣接している
南側で隣接する宇治市槙島地区とは
地形的障壁がなく街も連坦しており意識しないと市境はわからない
一方で北側に隣接する同じ伏見区である桃山地区
伏見地区とは宇治川を挟んでおり地理的に隔絶している
このため伏見区桃山に住んでいても
向島は別の地域であると認識してしまう
距離的に離れた深草などのほうが同じ「伏見」であるという意識がある
伏見区自体もよく「京都ではない」と言われたりもする
伏見の人間は「京都」であることを望んでいなので
余計なお世話だが
伏見に住んでいるというと
したり顔で「あそこは京都じゃない」などと言うバカがいる
いつ伏見が京都であると言ったのか
いつ伏見が京都であることを望んだのか
伏見が京都市であるのは「京伏合同」の結果であり
京都が伏見を合併したわけではない
向島も同様に「京都ではない」と言われたりもするようだ
向島ニュータウンは一種の閉鎖空間でもある
勤務先と高等教育以外はニュータウン内だけで完結するようにできている
それが心地よいという者もいれば
窮屈に感じる者もいるだろう
冒頭の表題は、「心地よい」と評価したアナーキーの歌の一節である
再び向島に住んでいた知人の言葉を引用する
自分は故郷であり愛着もあり、居心地もよかった。狭いところに密集して暮らしていたから、団地の人たちには仲間意識がある。あるいは階層的な同一感もあったかもしれない。そんなものかと思っていたし、特別イヤだと思ったことはなかった。ただ移り住んだ母は、周りと同じ幼稚園に送り迎えして、スーパーも一つしかなくて、孤立した箱の中のような生活で、毎日同じ人と顔を合わせて気が休まらなかったし、たまに大手筋に出ると観月橋を渡っただけなのに、なんともいえない解放感があった、というようなことを言っていた
だそうである
ちなみに彼は現在
向島には住んでおらず「観月橋を渡っただけ」の場所に住んでいる
彼はアッパーミドル層だが
アッパーミドル層に対応した住宅の供給が向島地区にはないそうだ
規格のいいマンションや新築戸建の供給がなかったため
近隣の大手筋近辺、伏見桃山地区に住んでいる
またヨメさんが京都の人で
向島に住むことに反対したそうである
「京都ではない」と伏見に住むことにも渋々であったようだ。
向島ニュータウンネイティブが大人になり外に流出し
新規の入居者も少ないことから
入居開始から40年が経過し
人口減少と少子高齢化が急激に進行し
地域全体の活力の低下が見られるようになった
現在の居住人口は約12,000人
計画人口の6割を切っている
向島ニュータウン事業は成功したとは言い難いであろう
そこで育ったものが
向島に定着できない
あるいは定着するこを避ける傾向にある
かくして
ニュータウンはホームタウンにはなることなく
オールドニュータウンとなってしまった
ということになる。
南向き並行配置の巨大な建築物が並ぶ姿は
「近代歴史遺産」と言っていい景観を形成している
このような大規模なニュータウン造成が行われることはもうないだろう
戦後の高度成長の時代がいかなる時代であったかを感じさせてくれる
優れて時代の雰囲気を表す景観をもつ地区である
東京多摩、大阪千里や愛知高蔵寺などのニュータウンも同様だ
巨椋池に映る月の美しさは秀吉も絶賛したほどであり個人的には巨椋池の水質を改善し残してほしかった
現代の技術とデザインで開発すれば「レイクタウン越谷」的なニュータウンを造成してみれば新しい伏見の魅力となったように思える
また近鉄向島駅の東側は京都市内には珍しいほどの広大な農地が広がっている
巨椋池(大池)干拓地のままである
おそらく用途地域の指定が「農地」のままで宅地開発は難しいのだろう
ここを開発することはできないものかと思うが需要がないということだと思う
米作ではないが近郊野菜の栽培が盛んであり干拓事業が生きたとも評価できる
by sazanami226
| 2021-07-25 19:54
| 伏見散歩
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