水島新司さんと大阪と岩鬼
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水島新司さんが1月10日に亡くなられた
水島さんの代表作といえば『あぶさん』と『ドカベン』だと思う
『あぶさん』の舞台は当初は南海ホークスだった
今は無き大阪球場(現:難波パークス)が舞台だった
東北在住僕には南海ホークスに触れることができる数少ない機会だった
僕が初めて出会った関西人は岩鬼正美だった
『ドカベン』のアニメがテレビで再放送されていた。
古臭い絵柄が苦手だった
そんなに見ているわけではなかった
葉っぱを加えた大男つまり岩鬼正美がドカベンだと思っていた
大学で関西に出てきたときに同回生の山田くんが
「や~まだぁ~」と呼ばれていて感動した
山田くんに聞いたら関西ではデフォルトらしい
ドカベンは山田太郎のことで岩鬼のことではない
と知ったのは高校に入って漫画を読んでからだった
岩鬼が関西弁で話しているから大阪にある高校だと思っていた
ドカベンと岩鬼の通っている「明訓高校」は神奈川県にある設定だった
関西弁で話す岩鬼は関西人じゃなくて生まれも育ちも神奈川だった
家族からは否定されて育った岩鬼を「そのままでいい」と認め
愛情を注いでくれたた人は岩鬼家のお手伝いさんだった
そのお手伝いさんが大阪の人だった
であるが故に岩鬼は関西弁になったという
わかる、わかるぞ岩鬼!
水島先生は新潟の人だった
『あぶさん』で大阪を舞台とした漫画を描き
『ドカベン』では準主人公に敢えて関西弁の設定にしたのか
私には謎だった
私のみるところ新潟の人は大阪が苦手な人が多いような気がする
個人的な経験を言えば
「なぜ関西人は東京にきても関西弁で通すのか」
などとおせっかいなことを新潟出身の方に言われたこともある
苦手というよりも嫌悪に近いものを感じた
水島先生は経済苦で高校にもいけなかった
父の借金先の水産問屋に丁稚奉公に出された
ていのいい「借金のカタ」だった
丁稚奉公の傍ら睡眠時間を削って漫画を描いた
大阪の貸本漫画屋の日の丸文庫に投稿して評価された
水島さんは出版社の社長の社長の家に住み込みで漫画を描くことになった
この社長の名前は「山田」だった
そして人気漫画家となることができた
つまり水島先生も岩鬼も
最初に自分を評価し愛情を注いでくれた人は大阪人だった
岩鬼は水島先生自身だったかも
というのはあまりに簡単な結論だろうか
でも自身を岩鬼に投影していたことは間違いないと思う
『ドカベン』を読むと最初は「荒くれ者」的なキャラだった岩鬼が
どんどん魅力的なキャラになっていく
おそらく水島先生も途中からは
岩鬼を描きたくて『ドカベン』を描いていたのじゃないか
と僕には思える
『ドカベン』のラストは明訓を去ることになったエース里中に
岩鬼が学帽を「餞別や」といって放り投げて終わる
やはりこの漫画の主人公は岩鬼だ
と思う

