クニが発展していたときの熱気を少しでも感じてみたかった。
[高島平の概要]
まずは、下調した高島平の概要。
▼江戸時代、洋式砲術家・高島秋帆がの公開演習を行う。地名の由来。
▼昭和に入るまでは「徳丸ヶ原」と呼ばれる一面の畑。
▼昭和31年代に住宅公団が買収、大団地の造成を決定。
▼昭和47年から入居開始。
▼都心へのアクセスの良さから、大量の若年層が流入。
▼高島平団地のみで2万人超の人が暮らした。
▼計画的に街づくりのため、日常の生活全般が地区内で充足する。
[計画された町]
都道、地下鉄の駅を境に、南側は大団地、北側は商業・住宅地。
北側は鉄道駅を中心とした、いわば「普通の東京郊外の街」。
計画性に従った、見事なまでの「棲み分け」。
宿をとったのは北側の「普通の街」だった。
さっそく南側の「高島平団地」へ行ってみる。
高島平団地は想像していたより、遙かに大きかった。
高度成長期の住宅需要の危機的状況を、今に伝えている。
団地の入口付近の低層階は、スーパーや商店になっている。
どの商店も、この地域に馴染んでいる。
典型的な「オールド・ニュータウン」の風景-。
団地内は人が多いが、人口構成がイビツなことに気が付く。
団地内を歩いている人の殆どが、20代の子育てをしている世帯か60歳以上のご老人のどちらかにあてはまる。
逆に社会の中核たる世代がいない。
高島平は、戦後の逼迫した住宅需要に対応するために作られた。
おそらく世帯は核家族を前提としている。
だから子供は成人していくと「世帯」をでざろうえない。
つまり団地を離れる。
高島平団地の第二世代は、高島平団地から離れてしまっている。
20代で高島平団地に入居した人でも、一戸建てを求めて、30代~40代には出てしまうのではないか。
ニュータウンは「いっせいに高齢化する」と聞いたことがある。
ここ高島平団地も、その問題を抱えているようだ。
上京二世、三世の多くなった平成の世には、2世帯分を1世帯にするなどの「リニューアル」が必要なのかもしれない。
これが「ストックの有効利用?」などと考えつつ、高島平団地をぶらぶらしてみた、
写真中の人物と比べるとスケールがわかってもらえます。