母校のグラウンドと校舎。
当時の響いた生徒達の声。今はもうありません。
最後に、今回の帰省で、一番訪れたかった場所です。
旧「村山市立大高根中学校」です。
旧と付くのは、廃校になったため。
もともと村山市は合併によってできた市でした。
旧村(大字)ごとに小学校・中学校がありましたが2004年度に、楯岡、袖崎、葉山、戸沢、西郷、大高根の6中学校体制が葉山、楯岡の2中学体制に改変されました。
行政的(旧自治省の見解)には「人口8000人に対して中学校一校」が目安だそうな。
村山市は人口約2万7千人ですから今後の少子化を考えれば、三校校程度が適正規模なのかな?
中学時代は楽しかっただけに、廃校は寂しい限りです。
想い出をヒトツだけ。
中学校の頃、野球部の顧問だった丹野先生元気かな~?
丹野先生は、前職が羽田空港の航空管制官という変り種でした。
東京帰りの先生は、田舎の中学生の僕には、何かと新鮮でした。
「花粉症」に悩む姿が印象的でした。
初めてみたのです。花粉症の人を。
進学した高校が、先生のご自宅の近くだったこともあり一度、ご馳走していただきました。サイコロステーキ。
先生の一言で、僕の人生が随分変わった気がします。
当然、いい方向にです。
先生を続けておられれば連絡をつけることができるのですが、お辞めになったようです。
連絡のとりようもございません。
当時30代でしたので、今、50代かな?
恩師ですが、連絡の取りようもないのです。。。
もういちど会いたいです。
ブログでお名前を出すのも、アレなんですが、
微かな期待を込めて、あえて書かせていただきました。
スミマセン。
入り口にはロープ。
往年はここで服装チェックなんかが行われていました。
地区の人たちがグラウンドを使っているようです。
キレイに下草が刈り込んでありました。
なぜかピンク色に塗られていた校舎。写真は体育館
マウンドからホームベース付近。
野球部でした。地区大会の一回戦を突破することができませんでした。
ホームベース前からバックネット付近。
太っていたので、ナンのひねりもなくキャッチャーでした。
でも野村克也(現楽天監督)に憧れていたので大喜びでした。
家帰って、毎日素振300回やっていたなぁ。
そしたら打てるようになりました。
クサイ言い方ですが「努力って素晴らしい」と人生で最初に学んだことです。
丹野先生が教えてくれたこと。
何度もパスボールをしたので、バックネットにはお世話になりました。
いまは草がからまって、バックネットであったことがわからないほどです。