2008年 11月 28日
信楽雑感。
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秋ですねー。
秋は一番好きな季節。
春もいいけど、春はなんだか気ぜわしい。
それに僕は半ば高原育ちで湿気が苦手。
冬の澄んだ空気が失われていくのが惜しい。
秋になると甲賀に行きたくなる。
甲賀でも草木深いの信楽の郷へ。
信楽は普段は静かな郷。
信楽の郷は窯業では中心地の一つ。
まさに「陶都・信楽」。
新名神でで、更に人が集まるようになった。
里の風情といい
「信楽焼」という人の好みを選ばない
素朴な風情の特産品があることといい
観光にはほんとうに良い場所。
草津田上ICから信楽ICーまでは11分!
これが下道で行こうと思うとなかなかに大変。
道がグネっている。
信楽焼は、日本六古窯のひとつに数えられる。
日本人の生活には信楽焼が入り込んでいる。
料理屋の軒先にある陶製の狸はその代表。
信楽焼は中世から現在まで生産が続いている。
信楽の陶人たちのたゆまない努力の賜だろう。
信楽は窯業に有利な土地柄だ。
◆良質な陶土の存在(大物の作陶が可能とのこと)
◆燃料の豊富さ。
◆大消費地へに近接していたこと。
などが信楽の有利さである。
信楽付近の丘陵からは良質の陶土がでる。
古琵琶湖層群の粘土層が形成されているだ。
土地では「ズニン」などと呼ばれている。
伊賀焼も同じ粘土層から作られている。
信楽を含む甲賀は木材の生産性も高かった。
つまり作陶のための燃料も大量にあった。
かつて信楽の地に紫香楽宮が営まれた。
「勅旨」「内裏野」といった地名はその名残。
聖武天皇は紫香楽に盧舎那仏を造営を発願。
つまり大仏さんを造ろうとした。
本家・中国の盧舎那仏は石窟にある。
日本においては、大仏は巨大な鋳物。
当然、燃料たる木材が大量に必要になる。
かつて信楽は木曽と並ぶ鬱蒼とした山林だった。
天平文化は、巨大な建築物を特徴とする。
東大寺がその代表。
天平文化を建材面から支えたのが甲賀の地。
甲賀にある「杣川」という川がある。
「杣」は、寺社仏閣の建材を供給する森林のこと。
切り出した木材を「杣川」で運んだことは想像に難くない。
東大寺建立の折、甲賀には甲賀山作所という役所が
設置されたとのこと。
甲南町矢川橋付近に
この役所の所管の施設に河港があったらしい。
近江の歴史の豊である。
この地には「日本人の共通の記憶」
すなわち日本史・国史の跡がそこかしこにある。
そんなことをおもいつつ
蒲生方面から信楽に車を走らせる。
信楽の郷に入るとやはり狸の置物が目につく。
信楽焼といえば狸。
そんなイメージがある。
しかし狸の置物はいわば「マスコット」。
実際には信楽焼の生産の一割程度。
明治時代、藤原銕造氏が最初造ったと言われているが
諸説があるそうな。
信楽焼の狸が広く知られるようになったのは
昭和26年の昭和天皇の信楽行幸がきっかけ。
沿道に旗をもった陶製狸が並んで
昭和天皇をお迎えした。
昭和天皇は、殊更この歓迎をお気に召した。
をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば
と歌を詠まれた。
昭和天皇は
小さい頃置物を集める趣味があったとのこと。
この逸話がマスコミによって
全国的に知られるようになった。
僕はこのエピソードが好きだ。
旗を持たせた陶製の狸の置物で歓迎、
というのはお伽噺じみていていい。
小さい頃に置物を集める趣味のあった方で
あればなおのこと嬉しいだろう。
あるいは万事にソツがなく
宣伝上手、情報戦が得意な近江人のこと
昭和天皇の趣味を
事前に知っていたのかもしれない。
信楽の大きな狸の置物を見上げながら
そんなことを考えた。
以上、とりとめもない話である。
甲賀でも草木深いの信楽の郷へ。
信楽は普段は静かな郷。
信楽の郷は窯業では中心地の一つ。
まさに「陶都・信楽」。
新名神でで、更に人が集まるようになった。
里の風情といい
「信楽焼」という人の好みを選ばない
素朴な風情の特産品があることといい
観光にはほんとうに良い場所。
草津田上ICから信楽ICーまでは11分!
これが下道で行こうと思うとなかなかに大変。
道がグネっている。
信楽焼は、日本六古窯のひとつに数えられる。
日本人の生活には信楽焼が入り込んでいる。
料理屋の軒先にある陶製の狸はその代表。
信楽焼は中世から現在まで生産が続いている。
信楽の陶人たちのたゆまない努力の賜だろう。
信楽は窯業に有利な土地柄だ。
◆良質な陶土の存在(大物の作陶が可能とのこと)
◆燃料の豊富さ。
◆大消費地へに近接していたこと。
などが信楽の有利さである。
信楽付近の丘陵からは良質の陶土がでる。
古琵琶湖層群の粘土層が形成されているだ。
土地では「ズニン」などと呼ばれている。
伊賀焼も同じ粘土層から作られている。
信楽を含む甲賀は木材の生産性も高かった。
つまり作陶のための燃料も大量にあった。
かつて信楽の地に紫香楽宮が営まれた。
「勅旨」「内裏野」といった地名はその名残。
聖武天皇は紫香楽に盧舎那仏を造営を発願。
つまり大仏さんを造ろうとした。
本家・中国の盧舎那仏は石窟にある。
日本においては、大仏は巨大な鋳物。
当然、燃料たる木材が大量に必要になる。
かつて信楽は木曽と並ぶ鬱蒼とした山林だった。
天平文化は、巨大な建築物を特徴とする。
東大寺がその代表。
天平文化を建材面から支えたのが甲賀の地。
甲賀にある「杣川」という川がある。
「杣」は、寺社仏閣の建材を供給する森林のこと。
切り出した木材を「杣川」で運んだことは想像に難くない。
東大寺建立の折、甲賀には甲賀山作所という役所が
設置されたとのこと。
甲南町矢川橋付近に
この役所の所管の施設に河港があったらしい。
近江の歴史の豊である。
この地には「日本人の共通の記憶」
すなわち日本史・国史の跡がそこかしこにある。
そんなことをおもいつつ
蒲生方面から信楽に車を走らせる。
信楽の郷に入るとやはり狸の置物が目につく。
信楽焼といえば狸。
そんなイメージがある。
しかし狸の置物はいわば「マスコット」。
実際には信楽焼の生産の一割程度。
明治時代、藤原銕造氏が最初造ったと言われているが
諸説があるそうな。
信楽焼の狸が広く知られるようになったのは
昭和26年の昭和天皇の信楽行幸がきっかけ。
沿道に旗をもった陶製狸が並んで
昭和天皇をお迎えした。
昭和天皇は、殊更この歓迎をお気に召した。
をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば
と歌を詠まれた。
昭和天皇は
小さい頃置物を集める趣味があったとのこと。
この逸話がマスコミによって
全国的に知られるようになった。
僕はこのエピソードが好きだ。
旗を持たせた陶製の狸の置物で歓迎、
というのはお伽噺じみていていい。
小さい頃に置物を集める趣味のあった方で
あればなおのこと嬉しいだろう。
あるいは万事にソツがなく
宣伝上手、情報戦が得意な近江人のこと
昭和天皇の趣味を
事前に知っていたのかもしれない。
信楽の大きな狸の置物を見上げながら
そんなことを考えた。
以上、とりとめもない話である。
by sazanami226
| 2008-11-28 21:38
| 散歩の途中で考えたこと
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