どうして高島市役所は旧新旭町役場に設置されたのか?
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建設中の国道161号バイパス。
[不思議だねぇ]
高島市は「平成の大合併」でできた自治体です。合併協議会の決定で、なんの風情もない「西近江市」なんていう記号みたいな名前になりかけました。市民の反対意見により、「高島市」となりました。一旦決めた合併後の新名称を再検討した例は平成の大合併では「西近江市」が初めてだったそうな。さすが近江人。市役所は旧新旭町役場庁舎に設置されました。ちょっと意外です。僕が湖西よく行くようになったのは旧高島郡の頃でした。そのときボンヤリと思っていたのは、
「高島郡」の中心は今津町かな? 安曇川? 歴史的には大溝藩のあった高島町?
ということでした。
「湖西」ということで考えれば、旧滋賀郡堅田町であった大津市堅田かもしれへんなぁ。。。
とか。
[旧高島郡の中心は?]
商業・経済の中心は、今は旧今津町、昔は旧安曇川町、更に昔は旧高島町のような気がします。
行政の中心は、国・県の出先機関の多い旧今津町かなぁ?
高等学校は旧今津町(県立高島高等学校)、安曇川(県立安曇川高校・旧高島高等学校安曇川分校)にあります。
公立病院は旧高島町。
でも、市役所は旧新旭町役場庁舎に設置されました。
不思議?? ですなー。
[高島郡の歴史を調べてみる]
[江戸時代]
天領・大溝藩・小浜藩の飛地・加賀藩の飛地・膳所藩の飛地・郡山藩の飛地・旗本朽木領等が混在。幕府の代官所が設置された海津村(旧マキノ町)、城下町である大溝村(旧高島町)が中心。
[明治時代]
帝国陸軍・饗庭野演習場が今津村(旧今津町)設置。
高島郡役場も今津村に設置。
以後国・県の出先機関は今津に設置。
[平成時代]
高島郡高島町、安曇川町、今津町、新旭町、マキノ町、朽木村の5町1村が合併。高島市が誕生。新市役所は旧新旭町に設置。
高島郡は江戸時代には小藩・飛地・旗本領・天領(幕府直轄地)が入り乱れていた様子。明治に入ってからの「郡都」は今津町だったようです。今でも国・県の出先が多いのは旧今津町。商業の中心も今津町のような気がします。そして「高島高校」が高島町ではなく今津町にあります。「高島郡にある高校」ということでしょうな。つまり歴史的にも新旭町が高島郡の中心になったことがないこと。普通に考えれば、今津に高島市役所本庁舎が設置されるのが妥当なのかなぁ?
[新市役所本庁舎設置の基準]
合併によってできた新市役所の本庁舎を何処に設置するかは、以下のような基準があろうかと思います。
1、行政の中心(県・国の出先が集中している)
2、経済の中心
3、地理的な中心(人口重心、交通の便がいい)
4、庁舎(防災拠点、耐震構造、情報インフラ、十分なスペース)
「1、」「2、」の基準でいけば、やはり旧今津町。「3、」に関してはちょっと私にはわからんけど、今津だと東によりすぎのような気がする。朽木へ抜ける道もあるし、安曇川ぐらいが適当じゃないだろうか。となると新旭町に市役所本庁舎が設置された理由は「4、」の基準ではないのかなぁ。庁舎が新しくてしっかりしているようですし、新庁舎建設のときには、十分なスペースを確保しただろうし。。
と考えてみました。
ホントのとこはどうなやろ?
★高島です★高島市役所
高島市役所の画像有り。平成7年に竣工したようです。比較的、新しい庁舎です。
★滋賀ガイド 素敵な人★
合併直後に行われた市長選の当選者は旧新旭町長だった方のようです。この辺も関係あるんかなぁ。
★日本全市訪問紀行★
こんなブログもありました。ここの記事によると駅から高島市役所は徒歩4分。
▼追記[2009.4.16]▼
★高島です★さんより情報をいただきました。
以下、要約。
▽合併時の協定には「今津町のJR近江今津駅南の空き地」への新庁舎建設が記載されている。
▽現在は様々な問題から新庁舎建設問題は進展が遅れている。
とのことでした。
ありがとうございました。
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それにしてもいつもお詳しいですね!
合併前に引っ越してきたので、これにまつわるいろいろの渦中にいましたー(もちろん今も高島市民ですが^^)
まだまだ高島市民7年生です。
それからさざなみさんのブログのお陰で
ホンマええとこに家を建ててよかったな~としみじみ感じることが出来て嬉しいです~♪
僕も今すんでいるところは合併前から「通っていた」ところでした。
山形県で生まれて京都、長野、岐阜、滋賀と流れ着いた僕にとっても今の場所はホンマええとこです。
>それからさざなみさんのブログのお陰で
>ホンマええとこに家を建ててよかったな~としみじみ感じることが出来て嬉しいです~♪
ブログをやっている者としては「冥利に尽きる」という想いです。オオキニです!!