2009年 04月 19日
湖北の郷は日本の郷
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お寺や神社、古い木造の瓦屋根の住宅、四季の移り変わり。
どれも日本の風景を説明するときに、欠かせないものです。
[故郷の四季]
僕の故郷は冬が長い地域でした。入学式のシーズンに桜は咲きません。山間にあった僕の小学校では雪が残っていることもありました。桜の最盛期はゴールデンウィークぐらいでした。11月当初から冬に入り、それが3月末まで続きます。つまり冬が五ヶ月もありました。
中学生の頃、国語の先生が
社会通念上は12月~2月が冬、3月~5月が春、6月~8月が夏、9月~11月が秋だ。古典の世界(旧暦)ではどうなるか?
という問題を出しました。僕にとっては問題の答え以前に「社会通念上」の四季の区切りのほうがびっくりでした。
[濃尾平野の四季]
滋賀に住む前に住んでいた場所は夏の長い地域でした。濃尾平野。ゴールデンウィークぐらいから車のエアコンを入れていました。10月でもクーラーが必要なときがありました。夏が六ヶ月もありました。
これは「とんでも歴史」の部類に入るかもしれませんが、「なぜ豊臣秀吉は無謀な朝鮮半島侵攻を行ったのか?」という歴史上の疑問へ回答として、
濃尾平野出身の秀吉は、畿内に本拠を置くようになりせっかちになった。畿内は四季の移り変わりがはっきりしているので、急き立てられるような思いに駆られた。秀吉が半島・大陸侵攻を夢見ていたことは、若い頃からの想いであり、加齢していくに従って、その想いは強くなり、畿内の四季の移ろいによって急き立てられるような想いとなって、無謀な侵攻を行ってしまった。
という「畿内の四季原因説」というのがあるそうな。。論の正否はともかく、濃尾平野と比較した場合に畿内の自然の移り変わりの鮮やかさ、という点は納得できます。岐阜から近江に通っているときは、醒ヶ井あたりで「あぁ、もう秋か!」とよく思いました。湖東平野に入り、人の営みが濃くなり、作物や庭にある木々を観るにつけ、その想いを強くしたものです。「近江は四季があってええなぁ~」って。
[近江・滋賀の住人となりて]
滋賀に住んで、「社会通念上」の四季の区切りが納得できました。おそらく日本人の「社会通念」、あるいは「暦の上で」というのは都があった、京都の気候に対応しているのだと思います。隣の近江にいれば納得できるはずです。滋賀に住んで約一年になります。つまり四季を「住人」として経験したことになります。僕もヨメはんも、この1年を通して思ったのは「滋賀の気候は自分達にあっているなぁ」ということでした。四季がはっきりしていて、夏はちょっと暑かったですが、春秋が長く、冬はちょっとヒンヤリするけど雪で生活に支障が出るほどではない。中央にびわ湖があるから、冬は温度が下がりすぎず、夏は上がりすぎない。天然のエアコン。
滋賀県は日本で数少ない「人口増加県」であるのは、「京都・大阪に近いく地価が比較的安いため」、という理由だけではないように思いました。「気候がマイルドで移り変わりが鮮やか」というのも理由にヒトツなもかもしれへんなぁ。
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by sazanami226
| 2009-04-19 23:55
| 近江散歩
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