突然ですけど、いまトンカツ食べたいんですよ。
それで、『食べログ』で探していたわけです。
口コミグルメでよく目にするのが 「昔は旨かったけど、味が落ちた。もう行かない」 的なコメント。
「期待値以下」で頭に来ているでしょうなぁ。。。
「昔」ということは、リピートして通っていた経験を持っている、ということでしょう。
常に「値段以上のパフォーマンスを叩きだす」と思うからこそ、そのお店にリピートするわけです。
それが「期待値以下」だとアッタマ来るわけですな。わかる。
わかる。しかし不思議なんは 「昔に比べて旨くなった」 的な逆のコメントをめったに見ないということ。
ま、「昔」行って「おいしくもない」お店にはいくことはないからでしょうな。
論理的に当然。
では 「昔も美味しかったけど、今はもっと美味しい」 というのはないのでしょうかね??
これも見たことないですな。
なんで??
人間の味覚というのは「イイカゲンで保守的だ」というハナシを聞いたことがあります。
僕自身は「★何個」的な評価をするほど、自分の味覚に自身がありません。
個人の主観、そのときの気分・体調に左右されるもんやと思います。
人間の感覚が「味覚」一番ええかげんやと思います。
だからこそ、人間は器や見た目、店舗の内装などに凝って、「雰囲気」をよくしようと思うわけです。
「みんなで食べるとおいしい。」「外で食べるとおいしい。」というよく聴くフレーズも、「味覚」なるものが「味以外に左右されるか」ということを表しているのだと思います。
人間の味覚はベロで感じるものです。
より厳密に言えば味らいで感じている。
ベロの表面には、約5000個の味らいがあり、味らいの中に味細胞がある。
味細胞を刺激を受領、神経を伝わって脳に入り、脳で味を感じる。
「味らい」「味細胞」の数は、子供の頃が一番多く、その後、減少していきます。
つまり、「子供がもっとも味がわかる」ということです。
でもこれって世の中の通説とは逆ですよね!?
世の中の通説は「年配者ほど味がわかっている」ということになっています。
ジツは「年配者ほど味がわかる」というのは、経験に基づくものらしいです。
「ビールがウマイ」といいますが、それは「かつて喉が渇いたときに飲んだビールが上手かった」という経験が、「ビール飲む=ウマイ」という反射的反応を引き出しているとのこと。
味細胞を通過した「味覚」は「子供」が一番敏感なんです。
あとは経験で埋めているだけらしい。
子供の頃一番、「味覚」が鋭敏なため、人間は小さい頃によく食べたものを、終生、好物とすることが多いらしいです。
外国に住む日系3世とか4世の方は、日本語は喋れなくても日本式の料理をよく食べるらしい。
それは日系1世(バリバリの日本人)の食生活が2世→3世・・・と伝わっていくからです。
つまり「味の好み」は驚くほどの粘着力を持っていて、子供の頃に形成されたソレは容易に捨て去ることができない、のです。
味細胞で受領した「味覚」と、これまでの経験などさまざまなものを総合して人間は「味」を判断して「ウマイ、マズイ」という判断を下しているということになります。
「昔、ウマイと思って喰ったもんが、ウマイ」わけです。
オジさんが味がわかっていそうなのは、「ウマイもんイッパイ喰ってきたんだろうな」という「経験が多いだろう」という期待に基づいたものです。
これは半分当たってますが「味覚」という点では、ジツはオジさんは「子供」にはかないません。
そして「経験」に左右される以上、本質的に「保守的」なものです。
ゆえに「昔もウマかったけど、今はもっとウマイ」ということはなく「昔に比べて味が落ちた」という憤慨が世の中にたくさん満ちるわけです。
「ウマイ、ウマクない」は個人の経験と主観が多いに作用する。
だから「昔に比べて味が落ちた」というのは主観に基づく判断で、より正確に、あるいは慎重に(あるいはクドク)表現すれば「昔に比べて味がかわった。
僕が好きだった味とはちゃうなぁ~。世の中的にはどうかわからんけど。」というのがいいと僕は思うのですよ。
留保が必要やないかなと。
たまたま、いつもの食材やなかったり、脂とか業者から仕入れらなくて、近所のスーパーから買ってきた「間に合わせ」で作ったものかもしれない。
理屈的にはあってはならないことだけど、実際にはママ、あることです。
飲食店でバイトとかしたことあるなら分かるハズ。
だから1回で「マズイ」と断罪してやるのはカワイそうでもあります。
とゴールデンウィークの連休につらつら想いました。
[追記]5月6日
ウェッブ上で、「昔は旨かったけど、味が落ちた。もう行かない」と酷評されていたお店に行ってきました。
旨かったです。
昔はよっぽど旨かったということか?