2009年 08月 02日
「開拓」地区に想う@高島市安曇川町泰山寺地区
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あまりにも疎らな集落と広大な耕作地。
水田が少なく畑地ばかりであること。
耕作地の割りに人家が少なく、ヒトツの家あたりの耕作地が広そうなこと。
整然とした樹木の配置、畑の向きが揃っていること。
人家の古さがだいたい同じぐらいであること・・・・
などからピーンときました。
などからピーンときました。
満州へ入植・開墾生活を送っていた多くの人達が、「内地」へ引き揚げてきました。
しかし戻ってきても彼らに分け与える農地はありません。
近代国家を志向した日本は乳児死亡率が下がるなど、「多産多死」から「多産少死」へ転換、人口増加が続きます。
日本の主たる産業は江戸時代と同じく農業であり、わずかに繊維産業が育ってきた程度でした。
つまり増え続ける人口を養っていく手立てがなかったのです。
農業の中心であった米作に適する土地はすでに開発されつくしていた。
「小さな国土で農業を中心として8千万人の人口を養う」ことは行き詰まりを見せていた。
耕作面積が頭打ちのなか、人口が増えていけば、一人あたりの取り分は減っていく。
国民の全てが「ジリ貧」となることを覚悟するか、格差社会を容認するか、の二者択一。
どっちにしろ大多数の「持たざる者」にとって歓迎すべきシナリオではない。
そこで大日本帝国は海外に耕作可能な土地を求めることになる。
ヒトツは大陸に植民地を獲得する道、言い換えれば中国人から土地を簒奪することであり、もうヒトツは「土地はあるが人がいない」南米への移民である。
植民地化回避を目的としたか弱き「近代日本」は、海外植民地を求める強大な「大日本帝国」へと変質していく。
農業国家・軍事国家・大陸国家志向の大日本帝国は敗戦により挫折しました。
その後、工業国家・通商国家・海洋国家志向・日本は成功して現在に至っています。
彼らは、大陸で培った「開拓魂」を発揮。
いままで開墾されていなかった丘陵地などに分け入り、開墾をはじめました。
あまり耕作(水田)に向かない土地を開墾せざろうえなかったのです。
このような経緯からできた集落を、わたしの故郷では「開拓」と呼んでいました。
山形県は満州への開拓団の供給地でした。
僕が小さかった頃、「満蒙開拓」という言葉はお年寄りから、普通に出てくる言葉でした。
僕の村にも「開拓」と呼ばれる集落がいくつかありました。
泰山寺地区の風情は、その「開拓」集落と似ていました。
はたして家に帰って調べてみると、泰山寺地区は戦後の食糧増産で開墾された場所とのこと。
やはりね。
そして名産品は大根とのことです。
おそらく泰山寺地区は丘陵地にあるため、水持ちがあまりよくないのだと想います。
ゆえ田んぼには向かない。
そのために大根を主たる作物にしているのでしょう。
開拓一世のかたは、かろうじて生きておられます。
その人のお話を聞くと、満州へ渡り、中国で兵隊として転戦、さらに舞鶴へ引き揚げ、(人によってはシベリア抑留)、開拓地へ入植、地味の痩せた場所に入植しているので根菜類などとイチからやっています。
オイルショック以降に生まれた僕よりよっぽど「国際的」ですが、艱難辛苦に満ちた一生です。頭が下がります。
ワタシ達世代は「好んで」外国へ行こうとします。そして外国で住んでいるヒトに対して憧れをもったりします。
しかし60年以上前、日本から「押し出される」ように、「日本では食い詰める」ために、海外に生活の場を求めざるを得ない人達もいたのです。
工場地帯で、よく目にする日系のかたは、南米に「移民」せざろうえなかった人々のお孫さん世代、ひ孫さん世代の方です。
戦前、農業国家・人口増加の日本から、押し出されるようにして、海外へ移民していった人々の子孫が、いま産業国家・人口減少の日本へ労働力として働きにきているわけです。
by sazanami226
| 2009-08-02 13:01
| 近江散歩
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Comments(3)
お久しぶりです。
さざなみさんも、なかなか忙しそうですねぇ。
僕も相変わらず忙しいままで、お盆休みもなさそうです(涙)
高島の開拓の話、初めて聞きました。
満蒙開拓の話というか、名前は知っていたんで゛すが・・。
というか、土地を観察するだけで、歴史が分るなんて凄過ぎです。
逆にこちらは満州に行っていたという人はあまり知りません。
こちらはカナダへの移住が多い地区で、
うちの祖父母も例外ではありません。
父もカナダ生まれですが、祖父母はかなり苦労したみたいです。
まぁ、父は3歳で帰国したので、記憶もないみたいですが。
改めて僕らは幸せな時代に生きているんだと実感しますね。
さてさて、忙しさも盆休み明けで山を越しそうなんです。
8月後半以降の試合予定分りましたら教えて下さい。
神奈川なんかは高校選手権の予選がもう始まっているみたいです。
滋賀はいつからですか?
さざなみさんも、なかなか忙しそうですねぇ。
僕も相変わらず忙しいままで、お盆休みもなさそうです(涙)
高島の開拓の話、初めて聞きました。
満蒙開拓の話というか、名前は知っていたんで゛すが・・。
というか、土地を観察するだけで、歴史が分るなんて凄過ぎです。
逆にこちらは満州に行っていたという人はあまり知りません。
こちらはカナダへの移住が多い地区で、
うちの祖父母も例外ではありません。
父もカナダ生まれですが、祖父母はかなり苦労したみたいです。
まぁ、父は3歳で帰国したので、記憶もないみたいですが。
改めて僕らは幸せな時代に生きているんだと実感しますね。
さてさて、忙しさも盆休み明けで山を越しそうなんです。
8月後半以降の試合予定分りましたら教えて下さい。
神奈川なんかは高校選手権の予選がもう始まっているみたいです。
滋賀はいつからですか?
0
>>Ryoさん
コメ返遅れました。すんません。
僕はお盆休みをズラしてとりました。
高速道路1000円の影響で大渋滞が予想されたので。
僕よりRyoさんのほうが忙しいようですねぇ。
実家のほうは「開拓村」がほうぼうにあるので
ピンときたんでしょうねぇ。
お父さんがカナダ生まれなんですかっ!!
カナダ移住、一時期日本人に人気があったようですね。
「雄大な大自然」的なイメージで。
ただ、僕達の二世代前の人たちはそうじゃないんですよね。
母国では食い詰めるから新天地を求めたという、、、。
母国にいて家、自家用車、家電、教育をもてる
今の状況はシアワセなんでしょうねぇ。
今年の「公式戦」は10月の選手権予選までないようです。
残念ですねぇ。
選手権で全国にいってもらって
最後にいい成績を残してほしいところです。
コメ返遅れました。すんません。
僕はお盆休みをズラしてとりました。
高速道路1000円の影響で大渋滞が予想されたので。
僕よりRyoさんのほうが忙しいようですねぇ。
実家のほうは「開拓村」がほうぼうにあるので
ピンときたんでしょうねぇ。
お父さんがカナダ生まれなんですかっ!!
カナダ移住、一時期日本人に人気があったようですね。
「雄大な大自然」的なイメージで。
ただ、僕達の二世代前の人たちはそうじゃないんですよね。
母国では食い詰めるから新天地を求めたという、、、。
母国にいて家、自家用車、家電、教育をもてる
今の状況はシアワセなんでしょうねぇ。
今年の「公式戦」は10月の選手権予選までないようです。
残念ですねぇ。
選手権で全国にいってもらって
最後にいい成績を残してほしいところです。
>>Ryoさん
「滋賀 カナダ移民」でググッたら出てきました。
さすすが近江ですなー
近江商人を多数排出した滋賀県からは、19世紀末からカナダへの移民が多くなり、第二次大戦までの日系カナダ移民の最大多数を占めた。滋賀県からのカナダ移民によって1922年にカルガリーで創設された絹布会社シルコライナーは、エドモントンとリジャイナに支店を置き、第二次大戦中も営業を継続した。 1970年代にはカナダ中西部に18の本支店を設置するまでに拡大した。シルコライナーの経営的成功は、現地の事情と便益を重視し、良質の商品をより廉価に販売しようと努めた点に求めることができ、それは創業者達の故郷から輩出した近江商人の経営姿勢にきわめて類似していた。
「滋賀 カナダ移民」でググッたら出てきました。
さすすが近江ですなー
近江商人を多数排出した滋賀県からは、19世紀末からカナダへの移民が多くなり、第二次大戦までの日系カナダ移民の最大多数を占めた。滋賀県からのカナダ移民によって1922年にカルガリーで創設された絹布会社シルコライナーは、エドモントンとリジャイナに支店を置き、第二次大戦中も営業を継続した。 1970年代にはカナダ中西部に18の本支店を設置するまでに拡大した。シルコライナーの経営的成功は、現地の事情と便益を重視し、良質の商品をより廉価に販売しようと努めた点に求めることができ、それは創業者達の故郷から輩出した近江商人の経営姿勢にきわめて類似していた。




